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【人と関わる意味】人付き合いはめんどくさい。コミュニケーション能力は大事だけれども。

コミュニケーション

人付き合いは歳を重ねれば重ねるだけ面倒に思えて来る。

この世の中を生きていくためには人との接触は良い意味でも悪い意味でも無くてはならないものであるが、それが苦痛で仕方がない。

ツイッター上のやり取りでさえ億劫に感じるほどだ。少し昔を振り返ってみよう。

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昔はクラスの人気者?

昔は誰とでも楽しく会話ができる愉快な少年であった。愛想がよく学校では先生に好印象を与え、友達からは好かれ人気者になることも多かった。

俺は友達との遊びや大人たちとの会話を楽しんでいた。コミュニケーションを含めた”時の流れ”に充実感を覚えていたのだが、気付いたら一人でいることが好きで、なるべく人との接触を避けるようになっていた。

振り返ればターニングポイントがいくつかあることがわかる。

大学時代の素行

大学生の頃は1人暮らしをしていて彼女はいたものの遠距離であったため、たまに電話はしていたが、ほとんど部屋にこもってゲームをする毎日。

同じ学科やバイトで知り合った友達がいてその頃はまだ仲良く遊んだり、飲みに行ったりしていた。

お酒は比較的強くて、夜中まで飲んでベロベロになって帰ってくることもよくあった。

酔っぱらって失敗したこともたくさんある。それによって2年間所属したバスケットサークルの友達と疎遠になってしまった。

酔った勢いで生意気な後輩にぶち切れてしまったのだ。そのブチギレ方が悪く、バスケサークルにはどうも顔が出しづらくなってしまった。

お酒の失敗はそれまでにも何回もしているので、また繰り返してしまった自分の責任であることは間違いないのだが、それらの一連の騒動(とても仲が良かったわけではないが、友達と言えるくらいの人たちと会わなくなったこと)はかなり心に響いた。

俺のメンタルは豆腐のようにやわっこい

ここで俺のメンタルの話をしよう。

俺は昔から感受性が豊かで、人の些細な心の変化みたいなものを感じ取るのが得意であった。

なので友達や周りの人の気持ちを考えて行動することが多かった。その人の気持ちになって考えるということだ。

それによって相手は喜ぶことが多かったが、中には不快に思う人もいる。

相手が感じるものを一緒になって感じてしまうわけだから、楽しい感情は共有出来て良いが、悲しい感情まで共有してしまうのは、どうかと思う。

例えば相手が体験した悲しい話を聞いて、自分まで暗くなり悲しみ、涙を流したりする。

感受性が豊かという言い方をすれば長所のようにとらえることができるかもしれないが、実際は心が繊細で敏感。つまりメンタルが弱いと言ってもいいと思う。

人と関わる意味

人が何の気なしに放った言葉をずっと気にして悩んだり、被害妄想をしたり、ショックなことが起きたときの立ち直りが遅かったりする。

それらひとつひとつが人付き合いの苦手につながってくるのだ。

ハッキリ言って、人と接触しなければ人の発言でショックをうけたりすることは無くなるだろう。

でもやっぱり思うのは人生は人と接触しないわけにはいかないし、世の中には人との関わりから生まれてくるものばかりだ。

俺が人と会わなくなっても誰も損しないし、得もしない。なので俺のためにどうするかを考えればいいと思う。

現在、人と関わることに生きがいを感じ、楽しそうに話し、飲みに行って皆でワイワイしている人をうらやましく思う。心から。

自分にはそんなめんどくさい事できないと思う反面、自分も誘われないかなと期待している。

そんな自分が好きであり、嫌いだ。

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