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【「ら抜き言葉」は正しい言葉かどうか論争】「ら抜き言葉」の見分け方と使ってもいい理由

俺の思考

「ら抜き言葉」を知っているだろうか。

その名の通り言葉(動詞)から「ら」を抜いたものだ。

日本語は日々進化していくんだ!という意見や、正しい日本語を使うべきという擁護する意見まで賛否両論である。

そのら抜き言葉が現代の日本で主流になってきてるというのだからこれは大変。ということで調べてみた。

(今回参考にさせていただいて記事はこちら⇒論点「ら抜き」言葉、多数派に

「ら抜き言葉」とは

上一段活用の動詞の可能形から「ら」を抜いた言い方。

つまり具体的に言うと「見る」とか「食べる」といった動詞を「~できる」という意味の形から「ら」を抜いた言葉。

すると「見る」⇒「見られる」なのでがら抜き言葉はこれを「見れる」という。

また「食べる」⇒「食べられる」と言うところを「食べれる」という。

 

「今日暇だからやっと映画見れるよ~」とか「あ~、無理!これ食べれない!!」

など例文は山ほどあるが確かに普段何気なく使っているような気もするし、周りからよく聞こえてくるワードだ。

そして実際に使っているのは若者だけではない、多くの大人も多用しているのだ。

俺の場合は(自慢するわけではなくて、単純に俺が細かい男だから)普段から気にして脳内変換してから言葉にするようにしていた。が正直めんどくさいなと思っていた。

なぜ「ら抜き言葉」を使ったら駄目なのか

正しい日本語を使いなさい。美しい日本語を劣化させないで。日本人として誇りを持ちなさい。

といったような日本文化大事マンが出現して怒られるからだ。

確かに日本の言葉は他国に比べて美しいと思う。

ひらがな・カタカナ・漢字が存在し、見事に混ざり合っている。美しさのあまり習得も難しいと言われているが、一度覚え始めると癖になる・・・のかな(無責任)。

例えば英語で一人称はI(アイ)の1つだけだが、日本語だと「私、あたし、俺、僕、わし、ぼくちん、まろ、あっし、わて、おいら、おいどん」など数えきれないほどある。

これは一例に過ぎないが、日本語は1つの対象に対して呼び名がいくつもあることが多々ある。また動詞や助動詞の使い方(「は」と「が」とか。)も複雑だ。

つまり何を言いたいかというと「難しい日本語を適切に使っている日本人素晴らしい、これからも正しい日本語を使っていきましょう、よってら抜き言葉はだめですよ」ということだ。

「ら抜き言葉」賛成派の意見

日本語は時代の流れとともに常に変化していくものだし、「ら抜き言葉」もそのひとつで、受け入れるべき。

ごもっともである。

今までに「ら抜き言葉」を意識してしゃべってきたが俺であったが、これには全面的に賛成だ。

時代の流れは意識していきたい。多くの人にとって喋りやすい言葉に変化するのは当然の流れだと思う。

「ら抜き言葉」を批判する人へ一言

別に俺が物申すわけじゃないんだけど、なるほどと思ったので紹介。

「見る」「食べる」などの上一段活用の「ら抜き言葉」が批判されることが多いが、歴史をたどると「眠る」などの五段活用でも「ら」の省略が行われてきたという。

「眠る」の~できるという形は⇒「眠られる」であるが、現在は「眠れる」といったように「ら」を抜いた形で定着している。

上一段活用の「ら抜き言葉」を批判する人はこの五段活用の「ら抜き言葉」の歴史を知ったうえで話をしているのか、気になるところである。

これからは

どっちかと言えば俺は「正しい日本語を使おうぜ」って言うタイプだったが、今回の件で「時代の流れに身を任せようぜ」タイプに変わった。

あーだこーだ言ってきたが、「ら抜き言葉」を認めよう。

でもあまりにネットスラングなどの日本語の変化は目も当てれないぜ。(さっそく)

おわり。

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