奨学金を借りることはできたが、結局返すことが出来ず自己破産して連帯保証人に払ってもらう・・・みたいな内容の番組がNHKで放送されていた。
「借りたならちゃんと返せよ!」とか「返せないなら借りるなよ!」といった話はわからなくもないが、俺も奨学金を借りた側の人間として、返済の大変さは強く共感する。
400万の奨学金(利子込み)を返済している最中で、残りは250万くらいだ。
「授業料免除を申請したが、どうしても通らなかった話」を思い出したので、勢いのまま綴ろうと思う。
親父がガンを発症
大学3年の冬、俺の親父の身体にガンが見つかった。
すぐに闘病生活を始め、投薬したり入院したりしてお金があっという間に消えていった(ようだ)。俺たち3人兄弟(当時俺21歳・姉23歳・弟19歳)に仕送りを送る余裕などすぐに無くなった。
元々俺は大学入学から第一種の奨学金を月5万円借りていたので、それで学費をまかない、仕送りは生活費に充てていた。
親父のガン発症により、母親に「これ以上仕送りは送れない」と言われた俺は、生活費の捻出をしなくてはいけなくなり困り果てた。
大学4年生になったら就活があるため(教員採用試験の勉強)、バイトをする時間が無い。
そこで俺は学生支援課に相談しに行くことにした。
授業料免除を申請
まずは学生支援課に状況を説明した。
親父の病気が発覚した事、病状は悪く今後もお金がかかる事、それによって俺が仕送りをもらえない事、安定した大学生活を過ごすお金が足りない事。
そんな話をしているうちに、俺は授業料免除を申請できることを知る。
学生支援課に授業慮免除の仕組みや申請方法の説明をしてもらい、帰宅後、申請用紙の必要項目をすぐに埋めた。
授業料が免除になれば年間50万が浮き、それを生活費に充てることができる。
「これで大学生活を最後まで無事に過ごせる…バイトをせずに、就職活動に専念することができる。」
そう思った。
実家の母も、電話でそのことを伝えると喜んでいた。
後日、俺は授業料免除申請書類を提出した。
授業料免除申請の結果
後日、学生支援課から連絡があった。
授業料免除にはならなかった。
実は俺、「絶対授業料免除になるだろう」という謎の自信があった。
だって、父親がガンになり死にそうになっていて、仕送りがもらえない。就活を前に困り果てた学生を大学は見捨てるはずがない、そう思っていた。
しかし見事に審査に落ちた。
理由を聞いたら「前年度のお父様の収入が普通にあるので、免除にはできない」との事であった。
なるほど、現在ではなく前年の年収を参考にするのか…。
親父は会社経営をしていて役員報酬をそれなりにもらっていた。
確かに病気になる前の収入は、余裕で授業料免除の対象外だった。
なんつーことだよ・・・、親父はほぼ一人で会社を回していたので病気になると給料はほぼ0。さらには闘病にお金がかかりまくるダブルパンチ。
俺が仕送りをもらえなくなるのは確実なのに。
ガックリ落ち込んだが、これが現実。
結局
授業料免除されなかった俺がうった次の手は、第2種奨学金。
月に10万を12ヶ月、計120万を借りた。
第2種奨学金とは利子付きでお金を借りる奨学金の事。結構な額の利子を払うことになる。まあつまりただの借金だ。
結局第2種奨学金の審査は通って日々の生活費は賄う事ができ、俺は無事に教員採用試験に受かり、なんとか大学も卒業することができた。
ただ多額の借金を背負いながらの社会人生活の幕開けとなった。
第一種、二種合わせて400万の借金の返済をし始めた。月1万6千円だ。
社会人8年目の今、残り250万、あと20年くらいかかるが、どっかのタイミングで全額返済しようかと思っている。
奨学金システムについて
NHKの番組でやっていた例で言うと、奨学金を借りて大学で学んだが、目標とした保育士にはなれたものの、返済が滞り自己破産、みたいなパターン。
これはマジで可哀そうだと思った。
俺の考えをいきなり話すと正直「俺みたいな大学に取りあえず行って適当に遊びたいと考えている学生には奨学金は払う必要は無い」と思うが「一生懸命勉強をするために大学に行きたい人に対しては、しっかりと国は援助するべき」だ。
「勉強したい、大学に行きたい、けど奨学金を借りても結局返済が大変そうだし、夢を捨てて就職しよう」みたいな社会だと、優秀な人材はどんどん減っていくんじゃないのかな~。
日本の将来を支える優秀な人間や志が高い人にはガンガン支援していってほしいな。
今日はそんな感じ。
そいじゃ!
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