何かをやっていくに当たって、わからないという壁にぶち当たる。
それ自体は誰しも経験があると思うが、それをどう処理するか(乗り越えていくか)について考えていこうと思う。
俺が遭遇した最近の”わからないの処理”の仕方
最近俺がよく”わからない”に遭遇するのがプログラミングの勉強をやっているときだ。
参考書を見て問題を解こうとプログラムを画面に打ち込む。そして実行しようとしてもどこかがおかしく、うまくプログラムが起動されない。
間違いを探して訂正しなくてはいけないので考えるが、なかなか答えが見つからない。
5分ほど考えてから答えを見る。
その他にもスーパーで買い物する際に、目的の商品の場所が分からない時にその場所を店員に聞くのも”わからないの処理”に当てはまる。
「あれどこにあるんだろう・・・」と一瞬考えてみて場所が見当もつかず探しても時間がかかりそうな場合は、すぐに店員に聞いてしまう。
わからないを聞き過ぎると嫌がられる
仕事において(仕事以外にも当てはまるが)はわからないことを聞くのは大事な事でもあるが、何も考えずにいつも聞いてばかりのやつは上達しないし正直そいつに毎回答えるのが億劫だ。
ちょっとは自分で考えてほしい。せめて質問の仕方を変えるべきで「自分ではこうこうこう考えたんですけど、このやり方だとどうですか?」とかね。
単純に「これわからないんですけど教えてください」だとかなりメンドクサイ。
しかも同じミスを何回もするやつがいる、そしてそれを毎回聞いてくると「いやいやこれ前も教えたじゃん、何回も言わせるなよ・・・。」となる。
どこかの誰かがブログで言っていたのだが(誰か忘れてしまった。)、わからない事を聞く前に自分で考える時間が短いと相手に負担をかけて、長いと自分に負担がかかる。
負担がかかるという表現にしたが、それは身体的・精神的な疲労以外にも時間の浪費という部分も含まれる。
なのでその辺のバランスが大事ということになる。(自分でどの程度考えるかが大事)
聞く前にある程度考えることは大事
プログラミングの話を再度出して説明する。
うまくプログラムが動かすにはプログラムのコードの1つ1つの意味をちゃんと分からないといけないわけで、「間違いを探す=意味がおかしい箇所はないか探す」という事になる。
するとひとつひとつの意味を確認していくことになる。それはプログラミングの勉強の復習に当たる事で、頭の中で知識を定着させていくことにつながる。
しかしこれをやりすぎると時間をたくさん使ってしまうことになる。効率よく頭に勉強を詰め込んでいくにはある程度のところで答えを見て、次へ進む必要がある。数をこなすのも1つの上達の方法だ。
これは将棋の上達法として有名な詰将棋にも同様なことが言える。
詰将棋とは相手の王様を何手で動けない状態にするかというゲームなのだが、最短手で詰ます手順を考えなくてはいけない。
俺くらいのレベルだと5手詰めとか7手詰めで悩んでしまう。
ひと昔前までは最後まで答えを見ずに解き切らないといけないと教わってきたが、最近は自分で答えが導き出されなくてもある程度考えたら答えを見てもいいという事になっているようだ。
なぜなら詰将棋というのは先を読んで頭を使うことが大切で、それが読みの深さにつながるからだ。もちろん答えを出すのも大事だが、その過程も脳みそを成長させる。
時間を天秤の片方に乗せて考える
問題解決のために時間をかけたら能力は上がるが、時間をかけすぎると次へ進めなくなり効率が悪くなるから結局数をこなせない。
逆に時間をかけずすぐ次へ進むと、理解が浅く上達が遅くなる。
つまりバランスが必要である。
上達と時間を天秤にかけて考えてほしい。効率良く物事を行いたい人は、ちょうどいいバランスのところを突き進むべきだ。
冒頭で例に挙げたがスーパーで商品の位置が分からない場合は俺はすぐ店員に聞く。
これは商品の場所を悩み続ける時間がもったいないからだ。
店中歩き回って「ここにもない、そこにもない・・・」で15分探した結果見つかったとしても、なにも進歩しないし、自分の何かが変わるわけでもないし、無駄そのもの。
大事な時間を使ったのに上達ゼロという事になる。
ということで時間と上達のバランスを考えて、この場合はすぐ店員に聞いて場所を教えてもらうのが正解だと俺は思う。
最後に
人生を効率よく生きていくには自分で考える力が大事になっていくし、切り捨てる力も必要だ。
考えることをやめたらそこで終わり、上達はしない。
結局何が言いたいかというと、「考えて自分のためになる行動をしようぜ」ってこと。
⇒「【少しでも前に進むために】自問自答を繰り返して日々変化(成長)する」
あと時間は限られているので、大事に使うべきって記事も書いたので一緒にどうぞ。
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